親父の小言とボディーブロー

人生折り返しの子育て世代。世知辛い世の中を面白く生きるためのあれこれと雑記

人は表現したいものなのだ

ほったらかしてしまった

やるなら本格的にやらないと意味がない、本格的にブログをやるならもちろん有料プランっしょとはてなブログPROで意気揚々とブログを始めたものの、気づけば夏から春の便りも聞こえてくるころまでほったらかしにしてしまった。

 

この間(かん)、世の中はコロナに一喜一憂し、また大きな出来事として、日本の首相とアメリカの大統領が代わった。後者については、機会があれば書きたいと思う(いわゆる陰謀論者の一歩手前ぐらいとレッテルを貼られそうな勢いで、選挙の公正性には疑問を持っているし、他国の介入を疑っている)。書かないかもしれない。

 

話が逸れそうになったが、久々の駄文投稿は「なぜブログを再開しようと思ったか」について手短に書きたいと思う。

 

長期にほったらかすと何事も億劫になるもので、正直この便所の落書きにもならぬブログはそっ閉じしようと思っていた。考えるきっかけとなったのはドメインの更新やら有料プランの更新やらのメールがしつこく来たからであるが、それがなければ考えもせず、忘れているうちにブログは消滅したであろう。

 

人は表現したいものなのだ

思い切ってはてなブログPROの有料プランを2年更新することにし、期限の3日前に決して安くない14,400円を払うことにしたのは、結局これに尽きる。

 

せっかく開いた自らを表現する場を、何もなさずに閉じるのはもったいない。

 

思えば表現したいという欲求の発露はかなり若い時分にもあった。

バンドの真似事に走ったのもそれかもしれないが、やはりブログをやっていた時があったのを思い出す。

 

しかしそれは、今の表現したいというのとは違う。いうなれば、単なる自己顕示欲であったろう。

 

今や人生折り返しだ。

 

人生折り返し、ということは、これまで生きてきたより長くはもう生きられないということだ。

 

それは抗えない事実なのであろう。

そんなことを考えると、そういう誰もが通る道ではあるが、その道のいたるところで、折に触れて、考え、悩み、喜んだことなどを、書き留めておくことには、かつてのそれとは全く違う、特別の意味がある気がする。

 

そして、今なら、それは誰かの役に立つ可能性がある

 

40過ぎると人は走りたくなるそうだが(自分は少しもそう思うわないが)、こうした衝動と、書きたいという思いとは、何か似ているのではないかと想像する。

 

少しでも、何かを取り戻したいとか、変えたいとか、要するに、過去を顧みるような年になって、いい人生を送りたいと願うことの表れなのであろう。

 

改めて、「親父の小言」のように、後で効いてくるかもしれない物事を、折に触れて書いてみたい。

 

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