賃貸か持ち家かについての結論
買うか、借りるか。それが問題だ
家は買うほうがいいのか、賃貸の方がいいのか。
とりわけ子供を持つ社会人の多くの人にとっては避けては通れぬ問題であり、長年多くの議論を呼んでいる。
御多分に漏れず、というか、いささか普通の人よりは幾分遅いタイミングであるが、私もこの問題と向き合うことになり、この度自分なりの結論を導いたのでご紹介したいと思う。
賃貸派と持ち家派の対立
この問題をめぐる二つの対立する立場を従来の慣例に倣って「賃貸派」と「持ち家派」と呼ぶ。
主要な論点については多くのサイトで紹介されているので、およそこの文章にまでたどり着くような方であれば、だいたい頭に入っていることだろう。
おさらいに両者の立場をまとめると、それぞれがメリットと感じるであろう点は
「賃貸派」
- 引っ越しがしやすい
- 修繕費がかからない
- 住宅ローンや固定資産税がかからない
「持ち家派」
- 好きな家に住める
- 資産になる
- リフォームができる
一方、デメリットとしては
「賃貸派」
- 物件の選択肢が少ない
- リフォームができない
- 一生家賃を払う
「持ち家派」
- 引っ越しがしにくい
- 自分で修繕しなければならない
- 購入時の費用負担が大きい
ということになろうか。
もっとも、どんなに論点を挙げても答えが出てくるわけではない。
結局は自分のライフスタイルに合わせて考えるしかないですねということなのだが、それが、特にもこういう不確実な時代、とにかく多様性を是とする風潮などによって、一層難しい課題になるのである。
さらに、自分が散々調べた中では、いわゆる識者のこの問いに対する答えは、圧倒的に「賃貸派擁護」が多いように思われた。
理由として、特にも自分を悩ませたのが、「家は買った瞬間から資産価値が下がり続けるから、一生賃貸の方が損をしない」というものである。
わかりやすく言うと、5千万円の家を買った次の瞬間に、その家は4千万円の価値しかなくなる(額は極端な例えです)というわけで、住宅市場においては間違いなくそうであるとは思う。人の手に渡った瞬間に中古なのだから。
また、高齢者が今後どんどん死んでいくことになるのは間違いなく、「空き家が今後爆発的に増えるから、供給過多になる結果住宅の価値が下がる」という指摘も的を射ているようにも思われてくる。
こうなってくると、「賃貸派」と「持ち家派」の対立は、どうにも賃貸派の方に分があるように感じられてくる。
考察
しかし、 結論から言って自分は持ち家派となった。
以下、上に述べたような賃貸優勢を超えてそこに至った考察を、いささか自己弁護の感もあるが、以下に記してみたい。
「賃貸のメリット」はメリットなのか
まず、自分はこれまで「どちらかと言えば賃貸派」であった。
サラリーマンの悲しい定め、引っ越しはつきものだ。
同業者にも「家を買ったら即単身赴任」というのがザラにいる。
引っ越しが気軽というのはなるほど魅力だ。
ローンを抱えないというのもよい。さらに、わが会社は単身赴任だろうがなんだろうが、家賃負担があれば住宅手当が出るいい会社だ。
修繕費や固定資産税とも無縁!いまさら家など買えるかと言いうわけである。
しかしである。
引っ越しが気軽と言っても、その手間は一緒である。しかも、独り身ならいざ知らず、家族を抱えて「引っ越しが気軽」もないものだ。
妻は仕事を、子供たちは学校を簡単には変えられない。これからは一家での引っ越しより単身赴任が最初の選択肢になるのが当たり前だ。
また、なるほどローンは抱えないに限る。
しかし手当があるとはいえ、家賃負担はローン並みにかかる。家族向けの物件となるとなおさらである。さらに、定年がいずれやってくるときに、収入も激減(下手すりゃゼロ)する中、定年後もその生活を維持できるだろうか?
しかもこの不確実な時代だからこその持ち家ということもある。実際にコロナで職を失った賃貸派が家賃を払えない地獄絵図はすでに現実のものとなっているのだ。
そう考えると、結局、定年後の「終の棲家のための準備」を、お気楽な賃貸生活と並行してやっていくということになるではないか。手当は結局それに消えるし、のみならず、不足するのである。
なお固定資産税、小さな話だが一応書いておくと、条件次第だが税控除でペイできるケースが多い。自分の場合はむしろプラスになるようである。
田舎における家の価値
次に、以下は持ち家派のメリットを擁護するものとなるが、好きな家に住めるという点、資産になるという点について考察したい。
好きな家というのは、確かに住宅は世の中にあふれており、選び放題であるかに見える。しかし、田舎で家を探す、住むというのは、やはり「間取りと家賃が条件に合っていればOK」ということでは済まない。
持ち家には望めるが、賃貸では決して望むことができないものがある。
庭や畑などの土地である。
多くの人にとっては重要でないかもしれないが、自分がここにこだわるのは、幸いにして田舎に住んでいるからには、自然とともに生きて土から食料を得るような暮らしを―完全でなくともーしたいし、子供に伝えたいと思ったからである。
(こうした考えに最も影響を与えた一冊である)
それを実践するには、賃貸では絶対に無理なのである。
庭付き一軒家を運よく見つけたとして、「好きに耕作してください、返す時はそのままで結構」なんて物件は絶対にない。
土地を含め、資産としての側面も大きい。
先に家は買った瞬間から資産価値が下がるという視点を紹介したが、それは売る場合、貸す場合すなわち家で稼ごうとする場合の話だし、ローン年数が長いと「それほどの価値のないものに払うコストが見合わない」ということもあるかもしれないが、これに該当しなければ問題ではない。
さっさと払って住み続ければいいのである。
そうして、子供に引き継ぎ、子供がいらなければ、売って生活の足しにしてもらえばいい。それぐらいの気持ちなら、決して「損」はしない。価値は減ってもゼロやマイナスにはならないのだから。
家とはなんだろう
結局、いろいろ書いてきたものの、最大の決め手は子供の存在と言えるだろうと思うので、最後にその点について書き残したいと思う。
どっちが得かという打算だけで考える話ではないのである。
家が子供たちの成長を見守り、子供たちが帰ってくる場所であるということ。
それが愛着のない仮の家でいいわけがないではないか。
こうしたある種おセンチめいたものは住宅メーカーの術中にはまっているような印象を与えるかもしれないし、事実自分もかつてはそのように考えたことがあった。
しかし少しづつ大きくなっていく子供たちを見ていると、そして「人生折り返し」となった今、自分が生まれた家に対し抱くようになった感慨ーーー若かりし頃の生家に対するイメージというのは、コンプレックスを増幅させて過ごしたような思春期の記憶と相まってほとんどネガティブイメージしかなかったものだが、なぜかそれが急激に尊いものになってきたのだーーーそういったものを考えると、家はやっぱり特別なのではないだろうかと思うようになってきた。
子供たちが大人になったときに抱く家の記憶、そしてそこにある親の姿とはどんなものだろうか?そう考えると、ほとんど自分には選択肢はなかったというわけなのである。