もしもピアノが弾けたなら
と、不器用な男の切ない恋心を歌ったのは西田敏行であったが、
今回は、「だったら練習すればいいではないか」という心境になったという話である。
はじめに
冒頭の西田敏行の曲の歌詞は以下のようである。
もしもピアノが弾けたなら
思いのすべてを歌にして
君に伝えることだろう
雨が降る日は雨のよに
風吹く夜には風のよに
晴れた朝には晴れやかに
だけど僕にはピアノがない
君に聴かせる腕もない
心はいつでも半開き
伝える言葉が残される
アアアーアア
............残される
1981年の作品ということだからリアルタイムではないのだが、自分にとってなんとなくピアノと言ったら思い出す曲であることに気づく。同時に歌詞の印象からであろうか、ピアノというのは誰もが弾けるものではないのだという先入観は、思えばこれから来ているのではなかっただろうかと思ったりする。
今に至るまで、ピアノへのかすかな憧れと、それでいて住む世界が違うものといったある種の縁遠さを感じながら年を重ねてきたのであるが、思いがけずそれが身近なものとなり、今更新しい趣味の扉を開ける羽目になったので、本日はその顛末を記そうと思う。
きっかけ
きっかけは、意外なことでも何でもないのだが、保育園に通う愛娘がピアノを弾きたいと言い出したことである。
タイミングよくクリスマスという後押しがあり、間もなく我が家に保育園児にはやや贅沢なキーボードがやってきた。
そしてそれは、多少予測できたことだが、今のところ娘の興味は引いていないようである・・・
しかし、当然話はそこでは終わらない。
娘のためのキーボードだが、いじってみるとなかなか面白い。バンドの真似事をしていた自分にはコードの知識だけはあるので、ギターを引っ張り出すのは億劫だが、そこにあるものを鳴らす分には気楽だ。そうして、コード弾きだけじゃなく、メロディも奏でたいという欲求が出てきた。
もう一つ。娘がピアノを弾くというのは男親にとっての憧れだ。
今は興味を示さなくとも、いつかその時が来た時に、自分が教えられるレベルになっていたら、その夢に一歩近づくことができるのではないか。また親の株も爆上げというものである。
それなら、基礎から勉強しておくのが得策だというわけである。
最悪でも、自分が弾ければこの高価なおもちゃが無駄になることもない・・。
そうした経緯から、ピアノは私の新しい趣味となった。
ピアノと書いたのは、キーボードを買い与えた娘のために、自分は電子ピアノを買う羽目になったからであり、間違いではない。
私は単身赴任をしているので、家のキーボードは使えない(逆に単身赴任先の住まいでコソ練ができる)。このため、どうしても練習用の「鍵盤」は必要だった。ただせいぜい安いキーボード、なんなら鍵盤だけあればよかろうと、最初は思っていた。
ところがそうはヨドバシカメラの問屋が卸さなかったのである。
大人(初心者)のピアノ選び
選定基準
まず、全くの初心者で、漠然と「ピアノ」に興味がある、少し前の自分と同程度のレベルの諸兄を頭に思い浮かべつつ書くと、キーボードとピアノは別物だということをまず指摘しなければならない。
黒と白の鍵盤が並んでいるものがみなピアノなわけではないのだ。
細かいことは省くが、ピアノをやりたい、やらせたいなら、ピアノを買わないといけないのだ。省きすぎると伝わらないので大事な点を一つだけ書くと、鍵盤を押した感じと音の出方が両者は全然違うから、キーボードが弾けてもピアノが弾けるようになるとは限らない。少なくとも苦労する。
そうはいっても初心者だ。ピアノというのは高価なので、本物のピアノ(電気コードでつながっていないやつ)をいきなり買うわけにはいかない。
こうした点を総合考慮すると、選ぶべきは電子ピアノ、そしてわたくしと同じような大人かつ初心者が選ぶべきモデルというのは、調べに調べた結果、2つしかないことが分かった。
ところで、コロナ禍でピアノの売り上げが伸びているという。「おうち時間」なるものが増え、人々が手に入れた自由時間を生かすべく新たな趣味を探しているのだというが、本当だろうか。
ともあれ、初心者の私がこれから書き記そうとする「初心者向けピアノの選び方」など誰が見るかということだが、おそらく同じ悩みをもち逡巡する人々が世の中に増えている可能性はあるということだから、参考になる人もいるであろうということで意を強くしたいと思う。
私の選んだ基準(初心者だということを考慮しつつ、おそらく、いくら初心者でも妥協しないほうがいい基準)は以下のとおりである。
- 高額でない
本物は論外として、必然的に「電子ピアノ」と呼ばれるものをチョイスすることになるが、その中でも、できる限り安いほうが分相応というものである。
万が一挫折した時のダメージを最小限にとどめる必要もある。
- ピアノである
最も重視したのが、鍵盤の感じがピアノと同じであること。ピアノは、鍵盤をたたくと、連動したハンマーが弦を打って音を出す。だから、叩いていないときは音が出ない。一方キーボードは鍵盤を「押した」ときに音を出す。おのずと鍵盤のタッチの仕方が代わってくる。これが別物たる所以であるので、「自分はピアノではなくキーボードをやるのだ」という奇特な人は別として、この「打鍵感」が最も大事だと思う。
また、「ピアノであること」は他にもいろいろあり、初心者が語るべきかどうか迷うことろにあるのが本物と同じ「88鍵」を揃えるものであること、というのがあるので一応入れておく。中には少ないものがありサイズ(横幅)が抑えられて魅力的だが、弾けない曲が出てくるという。
- できるだけ小さいものである
これは特に自分の事情だが、部屋が狭くなるのは困る。よって、既存のテーブルに置けるタイプのものにこだわった。
もちろん、鍵盤が小さくなっては練習にならない、ということは、奥行きと高さに関する問題だということになる。
なお、テーブルにおけるタイプでも、別売りで専用台を買うことはできるので、必要なら買えばいい。
候補は2モデルしかない
大人と言わずとも「初心者が最初に買うべきピアノは何か」というのは昔からあるテーマのようで、ネット上には多くの情報があふれている。しかし、それらを総合すれば、今日ではおおむね以下の2モデルに集約されるようである。
価格コムの人気順でも1,2を争う両者であることもそれを裏付けている。
身もふたもないが、このうちどちらを選ぶのかというのは、結局は好みなのである。
CASIO Privia PX-S1000
まずはカシオ。スイッチの類もタッチ式であるなど無駄がなくとにかくスタイリッシュである。発売時期も次のヤマハに比べると新しい。
カシオ(CASIO) Privia PX-S1000BK(ブラック) 88鍵盤 電子ピアノ デザイン性と高いピアノ性能で人気 Bluetoothスピーカーとして使用可能
- 発売日: 2019/02/15
- メディア: エレクトロニクス
この先生はCASIO推しである
YAMAHA P-125
もう一つの雄、YAMAHA。私はこちらを選んだ。
条件的にはCASIOの方がよいのだが(特にサイズの面で)、結局は好みの問題、なんとなく古臭い感じがよさげに見えたのである。
あとは、全くの偏見であろうが、Casioと言ったら計算機、楽器感のするヤマハの方がいいと思ったのである。クソみたいな理由ですみません。
これからピアノを始めたい人におすすめの電子ピアノ YAMAHA P125
この先生はヤマハ推しである。ピアニストの評価も真っ二つ、くどいようだが要は好みなのだ。
なお両モデルとも6万円前後である。
無知だった自分は意外に高いという印象を正直受けたが、今では「およそピアノを名乗るためには最低ライン」と理解している。
最低ラインと言っても、もちろんなんの不満もないし、チープな感じもない。
(品質に関してのインプレッションはできた身分じゃないので後に譲りたい。)
大人(初心者)のピアノ練習法
独学ということについて
さて、かくして狭いわが単身赴任先の部屋に密かに(娘には内緒にしている)長尺物がやってきたわけであるが、以下その練習方法について記そうと思う。
初心者がはなはだ僭越だが、「変な癖をつけないこと」は大事で、初心者であるうちにそこに気づいたことは意味があると思うので、主にその点をシェアしたい。
すなわち、先に述べたように私はバンドの真似事をやっていたこともありコードの知識がある。ギターに比べ、ピアノのコードは比較的覚えやすいし、指も痛くならない。
コードとは和音(ドミソとか)であるが、初めのころ親指と人差し指と中指だけで鍵盤を叩いていた。3本で抑えられないコードがまれに出てきたら小指のお出ましを願うといった具合である。
少しピアノをやり始めると、ほんの少しの期間このやり方をしただけなのに、変な癖がつき、矯正が大変なのである(もちろん、矯正しないと上達の妨げになる)。
だから、独学でやるというのはできれば避けたほうがいいと思う。
可能であれば私も習ってみたいものだと思うが、さすがにそれは時間とお金が許さない。
だいたい、ど田舎なのでそんな場はない。
(オンラインは魅力的だ)
ピアノ練習アプリという救世主
(オマケ)あると便利グッズ
ヘッドホン
こだわり始めるとキリがないヘッドホン。変換プラグ(太い穴用)が付いてればとりあえず音楽用ってことで。
ちなみに上のYAMAHAは、ヘッドホンジャックが2個あり、連弾が可能だ。使わんけど。
カメラアダプタ&変換ケーブル
セットで揃える。変換ケーブルから出力したものをカメラアダプタを介してiPhoneに繋ぐ。
これにより、アプリでの「正しく演奏できているか」のチェックの精度が上がる。
これがないと、チェックはピアノの生音をiPhoneのマイクで拾うことになるので、ある程度の音量をキープする必要がある。
これでは夜中の練習は厳しい。
上の3点セットで、いつでも気兼ねなく快適に練習し放題。
おわりに
習い事、新しい趣味、とりわけ楽器というのは、「始めるなら早い方がいいもの」の代表として語られがちだ。指が固く覚えが悪い大人が…というわけだ。
まして、「昔取った杵柄」ですらない、完全に初めて触れるものなら尚更というもの。
しかし、今回の経験は、時代は変わって、これらのハードルは劇的に下がったのだということを痛感させるものとなった。
ピアノがこれだけ安くコンパクトになり、オンライン講座からアプリまで用意されているのだから。
中高年のダイエットを語る
はじめに
この正月からダイエットに勤しんでいる。
生まれて初めてのことだ。
自慢ではないが、体重を減らさなければと思ったことがないのである。
ところが、ここのところは運動不足に加え、認めたくないものだが、加齢のせいであろう、同じ食生活をしていてもてきめんに腹回りに肉がつき、落ちなくなってきたのである。
ウォーキングと私
初めに取り組んだのはウォーキングであった。
これは、王道のダイエットと言えよう。
ダイエットといえば有酸素運動、有酸素運動と言えばウォーキングである。
初めのうちは一日5キロ以上のノルマを自らに課し、毎朝食事前にせっせと歩いていた。
ところがこれは、長く続かなかった。理由は以下の通りである。
・あまり効果を実感できない
・膝への負荷が気になり始めた
・飽きた
・寒く外に出るのがおっくうになった(積雪がとどめとなった)
思うに、「歩く」などというのをエクササイズとして目的化させるのがそもそも自分には無理だったのだ。
田舎の人は都会の人より運動不足になりがちというのは徐々に広く知られるようになってきたが、これは、田舎は車社会で、都会の人ほど日常生活で歩くことがないからである。
歩くなどというのは必要に迫られてやることであり、寒さに耐えながらあえてやることではないのである。
なにより、―結論を出すには時間が足りないことは承知の上だがー全く手ごたえを感じないのである。
本命に出会った
ヨガとワークアウト
そんな自分が、今確実に手ごたえを感じているのが、ヨガである。
エクササイズアプリ、「Asana Rebel 」。
ダイエット情報を漁った結果によるGoogleのアルゴリズムであろう、SNSの広告に出てくるようになったこちらを何気なく使い始めたのだが、これが思いのほかいい。
- エクササイズが豊富であり、レベルに応じてできる点
- 時間が適度、かつ自分でもコントロール可能である点
各エクササイズは5分程度から長くて30分である。
私はヨガにそれほど明るくはないが、全くの未経験ではないレベルであるという前提で読んでほしいのだが、ヨガはおおむねウォームアップ的な動きから本格的な動きを経て、クールダウンして終了という基本的な流れがある。
それぞれには意味があるので、体を鍛えたいから本格的な部分だけやろうというのは正しくないのである。が、そうはいっても少し負荷をかけたいときはあるもの。(有酸素運動の効果を高めるにはは30分から40分以上は連続して運動したほうが良いとも言われているし)
このアプリのいいところは、「本格的な動き」が終わろうかというとき、別のエクササイズを提案してくる。これにより、「もう少しやってからクールダウンするか」という選択が、エクササイズの流れを損なわずにできるのである。
ちょっとわかりにくいかもしれないが、「流れを損なわない」というのが重要で、ちょっとやったことあるレベル以上の人ならわかると思うし、始めてみるとこの意味は必ず分かるはずである。
ごちそうさまと言ってから「おかわりいかがですか」と言われるより、食べ終わりそうな頃合いで言われたいというのに似ている。
とにかく、そのあたりの「わかってる感」がいいと思う。
- 効いている実感が得られること
最大のメリットはこれに尽きるが、1か月足らずだが確実に身体は絞られてきた。これは驚いた。
同じ30分のエクササイズを考えたとき、ウォーキングで消費するカロリーに比べ、ヨガのそれは半分程度と説明されることが多いようであるが、実感としては全く違う。(ワークアウト要素があるので、単純比較はできないと思うが)
また、身体には効いているし、負荷が適度であることに加え、これがヨガの効果であろうが、終わった後の爽快感があるため、これなら続けられるという確信がある。
(悪い点)
- スマホでしか見られない
スマホの小さい画面でビデオを追うのが、たまに大変な時がある。いろいろな体勢をとるので、絶えずスマホを見ていられないのだ。
こんな時、PCでミラーリング出来たらと思うのだが、二次利用防止策であろう、できない仕様になっている。
レビューを見ると、かつてプロジェクター投影ができたが、できなくなったようだ。
- 英語だ
ヨガは基本的に講師が次の動きを口頭でリードする。これが英語しかないので、すべてを理解できない。
もっとも、慣れれば画面上の動きとの関係で、徐々に理解できるようになってくる。
ヨガに手を出す前に
かようにレコメンドしたいヨガであるが、全くヨガに触れたことがない人にはあまりお勧めできない。
というのは、ヨガは流れや呼吸が肝のアクティビティであり、たとえば「呼吸を止めてはいけない」「反動をつけてはいけない」といった基本的な約束事(この程度は、自治体のヨガ教室に一度でも行けば教わるレベルで、最低限それでよく、本格的に勉強する必要はない)を知らないと、とかく「柔軟性が一番大事だ」と誤解して無理に身体に負荷をかけたりして、逆に身体を痛めるのである。
私はかつて腰を痛めがちだった(関連記事はご参考まで)。
そのため、いかにケガに強い身体を作るかを模索(迷走)してヨガに取り組んだ経緯がある。だからこのアプリはしっくりくるのかもしれない。
今なら各種オンライン講座がある。便利な世の中になったものだ。
結局、人に教わるのが近道だということは多いものである。
まとめ 中高年のダイエットを考える
データよりも雄弁な「印象」
以上、私が成功しつつあるダイエットの一端を述べたが、データ的なものを記しておきたい。
着手前、ベスト体重からは4kgほどオーバーしていた。
この数字を大きいとみるか小さいとみるかは人それぞれであろうが、中高年目線で見ると、数字の印象より見た目の方は増えた感がしてしまうということに言及する必要があるだろう。
もともと身長が高く、どちらかというとやせ型なので、4kg増えたところで健康面ではどうということはないかもしれないが、明らかに腹中心に肉がつき、若い時と違って、何か数字以上に太った印象を強く与えてしまう感じがするのだ。
痩せればいいというものではない
今、その体重はかつてのものに近づいている。
しかしまたここで中高年ならではの大きな課題があるということに気づかされている。
老人はしわが多い。これは皮膚は縮まないのに中身が小さくなるからである。中高年のダイエットは、こことの闘いでもあるということだ。つまり、単に体を小さくすると、今度は老けた印象、くたびれた感じを与える結果になる。
印象だけでなく、加齢によって筋肉が減少して脂肪が増える「サルコペニア肥満症」のリスクもある。
さらに、理想のBMIは22だそうだが、長生きするにはそれでは足りず、多少肥満傾向の方が良いという説もあり悩ましい。
だから、体重が減っていくことを単純に喜んではいけないのだ。
まとめとして、今後は減らした体重を、ヨガを継続しつつ、今度は筋肉量でリバウンドさせると言ったトリッキーな体質改善が自分の課題なのではないかという仮説を置いて、検証はのちに譲り、駄文を世に送りたいと思う。
人は表現したいものなのだ
ほったらかしてしまった
やるなら本格的にやらないと意味がない、本格的にブログをやるならもちろん有料プランっしょとはてなブログPROで意気揚々とブログを始めたものの、気づけば夏から春の便りも聞こえてくるころまでほったらかしにしてしまった。
この間(かん)、世の中はコロナに一喜一憂し、また大きな出来事として、日本の首相とアメリカの大統領が代わった。後者については、機会があれば書きたいと思う(いわゆる陰謀論者の一歩手前ぐらいとレッテルを貼られそうな勢いで、選挙の公正性には疑問を持っているし、他国の介入を疑っている)。書かないかもしれない。
話が逸れそうになったが、久々の駄文投稿は「なぜブログを再開しようと思ったか」について手短に書きたいと思う。
長期にほったらかすと何事も億劫になるもので、正直この便所の落書きにもならぬブログはそっ閉じしようと思っていた。考えるきっかけとなったのはドメインの更新やら有料プランの更新やらのメールがしつこく来たからであるが、それがなければ考えもせず、忘れているうちにブログは消滅したであろう。
人は表現したいものなのだ
思い切ってはてなブログPROの有料プランを2年更新することにし、期限の3日前に決して安くない14,400円を払うことにしたのは、結局これに尽きる。
せっかく開いた自らを表現する場を、何もなさずに閉じるのはもったいない。
思えば表現したいという欲求の発露はかなり若い時分にもあった。
バンドの真似事に走ったのもそれかもしれないが、やはりブログをやっていた時があったのを思い出す。
しかしそれは、今の表現したいというのとは違う。いうなれば、単なる自己顕示欲であったろう。
今や人生折り返しだ。
人生折り返し、ということは、これまで生きてきたより長くはもう生きられないということだ。
それは抗えない事実なのであろう。
そんなことを考えると、そういう誰もが通る道ではあるが、その道のいたるところで、折に触れて、考え、悩み、喜んだことなどを、書き留めておくことには、かつてのそれとは全く違う、特別の意味がある気がする。
そして、今なら、それは誰かの役に立つ可能性がある。
40過ぎると人は走りたくなるそうだが(自分は少しもそう思うわないが)、こうした衝動と、書きたいという思いとは、何か似ているのではないかと想像する。
少しでも、何かを取り戻したいとか、変えたいとか、要するに、過去を顧みるような年になって、いい人生を送りたいと願うことの表れなのであろう。
改めて、「親父の小言」のように、後で効いてくるかもしれない物事を、折に触れて書いてみたい。
ビジネスシーンにおけるメンズリュックサック問題について
はじめに
こんにちは。
コロナの感染拡大はなかなか予断を許さない状況が続きます。
昨日7月15日は小池百合子都知事の誕生日だそうですが、その日に記者会見を行い、都の警戒度を最高レベルに引き上げました。
一方で官房長官は市中感染は広まっていないなどと安全宣言みたいなことを言ったりカオスなのですが、ともあれ都民に対しては都外への不要不急の外出を控えるよう要請が出されました。
「不要不急がそもそもよくわからない」という声も多いのですが、ざっくりいうと遊びいくとか観光旅行はダメだけど仕事や病院、スーパーにいくのはOKというようなことです。
すでにwithコロナが始まっている様相の東京と、県外ナンバーの車にさえピクッとする我が田舎とではおよそ価値観の共有などできそうにないのですが、いずれにしましても是非都民の皆様にはしばらくおとなしくしていていただくのがお互いの幸せのように思えます。
さて、通勤といえば、本日のテーマはリュックとりわけビジネスシーンにおけるそれについてであります。
本駄文に迷い込むぐらいの紳士淑女の皆様にはそれが少なくとも正統派の装いでないことはもちろんお分かりでしょう。のみならず白ソックス級のタブーとみなす諸兄もおいでのことでしょう。リュックとはそういうものです。
結論から言うと万能ではないけれども全てがダメではなく汎用性高く使えるものもありますということになります。
本稿では、私がそのリュックに出会うまでの葛藤と感動について述べたいと思います。
リュックはなぜビジネスシーンで使えないか
ところでリュックはなぜ「ビジネスシーンでは使えない」のでしょう。
リュックほど機能的なものはないのになぜ機能性が追求されるビジネスシーンでは使えないのか。
カントリージェントルマンを自認する私の結論は、およそスーツを着るようなビジネスの場では、装いには機能性を追求しつつも機能美を保たねばならぬ鉄のルールが存在するためであるというものです。
機能性を追求するならばスーツはボタンではなくファスナーの方が楽だしひっかけて紛失することもありません。なぜそんなスーツは存在しないのか。ネクタイだって機能性ゼロです。ああ仕事かと思いながら締め、終わったヒャッホーと緩めるような代物を何故身につけるのか。省エネスーツはなぜ定着しなかったのか。
こうしたことを考えると、このことはよく理解できると思います。
機能性を保ちつつ、そこには余計なもの、装飾としてのものがあってビジネスシーンに相応しい装いが完成するのです。
そこに行くとあまりにリュックは機能性に寄りすぎ、寄りすぎて機能美を損ない、横着な印象を与えてしまうのです。
もう一つ、スーツやジャケットを傷めるという大きな理由もあります。
荷物の重さを両肩で直接支えるリュックは、身体には優しいけれどもスーツにはすこぶる悪い。生地を傷めると同時に、形崩れを起こします。
ビジネスシーンにおいて身につけるものは手入れがされていなければならないというのも真理で、肩がテカって形が崩れたスーツなどはもう最悪と言うべきでしょう。
使えるリュックとは何か
ではやっぱりリュックは無理ではないかと言うことになるわけです。
基本的には、難しい代物です。
しかし、ビジネスシーンに求められる「相応しい装い」の変化や、電車に乗れなくなって徒歩や自転車で通勤するようになったなど、今や時代がリュックを求めていると思います。
(自転車などは否応なしにリュックですね)
個人的にも、自転車通勤の必要性がリュックという禁断の果実に手を出した理由でした。
それではどういったリュックが許されるのか。私の逡巡と結論を以下に述べます。
(1)ロゴがない
基本中の基本であることは言うまでありますまい。ビジネスシーン云々の前に企業ロゴを身に纏わねばならぬ意味が不明ですが、大人の装いには無縁なものでしょう。
(2)素材
スーツスタイルと親和性があるものを選ぶべきです。リュックはもともと素材の種類が豊富ですが、丈夫であれば良いと言うものではなく、かつあまりチープなものは避けるべきです。
すなわち高級感があり、光沢の抑えられたものが良いでしょう。
ここは、プラダやフェリージに代表される高級ナイロン素材や、TUMIによって市民権を得た超強度ナイロン素材「バリスティックナイロン」が参考になるでしょう。
(3)機能と機能美
手を出すこと自体なかなかに禁断の果実臭の漂うリュックですが、この両者のバランスの追求は絶えず続けるべきものです。
リュックにありがちなポケットの多さや、重さを腰で支えるウェストベルト、背中に接する部分の蒸れを軽減するメッシュ素材の採用・・これらはアウトドアシーンでこそ必須、もちろん人の目さえ気にしなければその快適さに身を委ねたいものですが、グッと堪えて削ぎ落とす必要があります。
また経験上大事なのが肩紐で、両手が使える快適性が売りのはずが、あまりに肩紐が細いと、ーそれはシックな印象を与えるものではあるけれどもー肩が痛くてそれどころではありません。ブリーフケースと同じ重さであっても、です。
初めてリュックを背負うと、案外重たいものを片手で持っていたものだな、と思うものです。重さを肩全体で支えるようなしっかりした肩紐のものを選ぶ必要があることは強調したいと思います。
結論
最終的に、それらを全て満たすものはこのDSPCHしかないのでした。(個人の見解です)
(本稿の画像は公式サイトから拝借しました。)
ビジネス対応を謳うリュックは近年増えてきていますが、多くは一長一短があり、チープすぎたり主張が強かったりアウトドア感が抜けなかったりするものです。
しかしこのサンフランシスコ生まれのバリスティックナイロンリュックは見事にビジネスシーンにマッチします。
田舎在住ゆえ現物に接する機会がなく、通販サイトで見た目買いしたのですが、想像以上の逸品です。最後に、その使用感をまとめてご紹介します。
いいところ①機能と機能美がちょうどいい塩梅
ご覧いただくと分かる通り、実は結構肩ベルトがしっかりしています。いいところ②汎用性が高い
仕事メインで使うわけですが、仕事以外でも使えます。これは当然のことではありません。オンオフ兼用というのはこれまた横着か、TPOに応じたものを持ってない人と思われてしまいます。
オンでもオフでもというチープなセールス用の常套句を拝借するのは気が引けますが、こいつには使っても良いでしょう。まず旅行はこれ一つでまず大丈夫。ノートPCも(今では標準なのでしょう)保護してくれるし、かさばりがちな子供の身の回り品などもガシガシ詰められます。
それでいて職場に置いていても公園の芝生あたりに放り投げておいてもビーチを歩いていても違和感がない。素材とデザインの重要性を感じる逸品です。
いいところ③
価格が良心的です。バリスティックナイロンでこの作り込みにしてこの価格。超絶お買い得だと思います。
TUMIだったら倍ぐらいしそうです。そのうち高くなるんだろうなという悪い予感は大抵当たります。今の世の中ですから、潰れるか高くなるかですね。(多分)
DSPTCH ディパッチ デイパック
ブルックスブラザーズの破産に思う
アメリカの紳士服ブランド「ブルックス・ブラザーズ」がコロナ破産とのニュースが飛び込んできました。
ブルックス・ブラザーズと言えばアメリカン・トラディショナルの雄。創業200年を超えるアメリカでも最も歴史のある紳士服店です。
歴代大統領のスーツを仕立ててきたことでもよく知られ、軽くwikiったらケネディ大統領が暗殺されたときに着ていたのも同社のスーツだったそうです。
報道によると、コロナパンデミックの影響を受け、今日までにすでにいくつかの店舗は閉鎖しており、アメリカ国内の工場も閉鎖に向けた準備を進めていたとのこと。パンデミック前にも、ファストファッションの浸透やオンラインでの競争の中で苦戦していたようで、さもありなんという気がします。
たしかに近年あまり名前を聞くこともなくなったというか、アメトラ自体がそもそも過去の遺物というか(個人の見解です)、少なくとも絶好調ではなかったというのは間違いないと思いますが、人生折り返し・団塊ジュニアど真ん中の私にとってそれは、ある種のノスタルジックを感じる存在なのです。
ブルックス・ブラザーズの代名詞はオックスフォード生地のボタンダウンシャツ。
なにしろボタンダウンシャツを初めて世に送り出したのが同社です。
社会人生活を始めた20数年前、給料日前には絶食するような生活のくせに、おそらくはアメリカへの無知なあこがれから、決して安くはないここのシャツを何着も買ったものです。
オックスフォード生地のボタンダウンシャツ、少々野暮ったいです。胸ポッケに羊の刺繍もないだろと思います。
しかしそんなシャツををスーツスタイルでも(むしろそっちで)好んで着ていました。だいたい、そもそもここの服は身幅が広く(イタリアンやブリティッシュと比較して、それがアメリカンの特徴とざっくり理解されていました)、細身の自分には全然似合っていなかったと思うのですが。
ともあれ、そんな苦笑いとセットの思い出とともに、若かった時代の、そして今にして思えば、アメリカなる概念がまだ大いに若者を、世界を惹きつけていた時代の、遠くなりゆく記憶となって小生の胸の奥底をちくりちくりと刺すような気がする、そんな存在なのです。
(公式Twitterより)
もっとも、私自身は、寂しさのようなものは覚えるけれども、それだけで、別に困りはしません。
私はいわば流行りに乗ってここのシャツを買っていたに過ぎません。
「それはかっこいいから、いいものだから流行ったのだろう」
との反論もありましょうが、だいたい人の体は100人いれば100通りなのに、ここの服がいちばんかっこいいなんてことがあるわけない。
いいもの、に関しては素材だの縫製だのあるでしょうが、所詮マシンメイドの大量生産です。
別に若気の至り、ジェントルマンの黒歴史の片棒を担いだからと言ってdisられる筋合いはないでしょう、ゴールデンフリースさんも大メーワクだと思いますが、言ってしまえばファストフッションと比べられ、負けたのです。そういうことです。
ゴールデンフリース(公式サイトより)
もちろん、大統領が既製品を着るわけないし、セレブもしかり。そうしたオーダー品は一流の職人さんやらデザイナーが関わるのでしょうから、それはかっこよく、いいものには違いありません。
しかし、そのブランドだからといって店舗の吊るしに一般人がありがたがって高い金を払うのですから滑稽な話です。
吊るしを買う限り、ファストファッションとこうしたブランドとの差はない、控えめに言っても価格差に見合うだけのものはないというのが大体において当てはまり、多くの人がそこに気づいたというのが正しいのじゃないでしょうか。
よって、コロナ倒産と言うけれども、遅かれ早かれその時は来たのだというのが妥当と考えられるのです。
それじゃファストファッションしか残らないかといえば、さにあらず。
かっこいいもの、いいものとは結局似合っているもの。こと大人の装いにおいては身体に合っているものでしょう。
行き着くところは、オーダーしかないと思います。
「オーダーって高いじゃん」という偏見は恐るべきことにまだ根強いのですが、例えばシャツならブルックス・ブラザーズを一枚買う値段で1.5〜2枚作ることができます。
はっきり言ってシャツやスーツに関していえば吊るしが奇跡的に会う人を除いてオーダーすべきです。
似合わない20万円の吊るしのスーツより5万円のオーダー。3万円の既製品のシャツより5千円のオーダーです。断言できます。
素材は二の次で、まずは身体に合っているかが全てなのです。もちろん、金が許す限り素材にはこだわることができるのですから。
危機は淘汰を促し、真に人と時代に求められるものが残っていくことになるのでしょう。
ただ、かっこいい、いいものを身につけたいという欲求はなくならないと思います。
今回の、一時代を築いたファッションのアイコンの終焉は、では、いいものとはなんなのか?を雑誌や雰囲気ではなく、自分の頭で考え、選ぶということが大事で、それは簡単なのだということを改めて気づかせてくれたように思います。
レッツオーダー。
コロナと共に生きるってこと
はじめに
世の中がほんのここ1、2ヶ月の間に劇的に変化して、この駄文を書いている最中にも情勢は刻々と変化しています。
もちろん、ネタは尽きないとは言え、本稿はコロナの感染拡大のための専門的な知見の披瀝や、意識の高い行動変容のお誘いを目的としているものではありません。
そんなもの持ち合わせていないし、実際のところ何しろ新型のウィルスでわかっていない事が多いので、何が正しいのかわかったもんじゃないですからね。素人がうかつに聞きかじりの知識を晒すが如き愚は慎まねばなりません。
絶対間違いないのは、「一番効果があるのは手洗いだ」くらいのもんじゃないでしょうか。
とにかく、世の中とりわけ一般市民に対しては、手を洗う、他人に近づかない、一番安全なのは家の中。を基本とする啓発が盛んにおこわなれているというわけです。
しかしですよ。(ここから本題です)
ここは田舎、しかも超田舎です。
もちろんこんな時でも沖縄に飛びパチンコ屋に行列をなす輩のように「自分だけは大丈夫」などとは思いません。手、洗ってます。
しかし、全国一律の規制というものにはやはり違和感を持つのであります。
密集 100km圏内にはないです。列車であってさえも。
密接 家族以外に考えられないです。職場であってさえも。
密閉 寝室以外にそんな空間ないです。
マジなんです。日本にはそんなところもあるんです。
それなのに、同じレベルでの行動変容を求められている、それが今なんです!
そして、裏が山で目の前が海、畑仕事もたまってるくせに #お家で過ごそう とか言って腕立て伏せ動画をSNSに載せてドヤ顔しているのが今の地方民なのです。何とも寒々しい。
田舎なんだから働かざる者食うべからず。田舎なんだから近くの山に登って海でサーフィンに興じればいい!
そこで今回は、今こそ引っ張り出したいアウトドアグッズのインプレッションでもしてみようかなと思った次第です(そこかよ)。
今こそ引っ張り出したいアウトドアグッズ
本当に家の中にいるしかない都会の人は本当に気の毒でお見舞い申し上げます・・
ですが、事情が許す人は、ぜひ外に出たいところです。河川敷でも、庭でもベランダでも、太陽があるとないとでは大違いですからね。
そこで今回、私物の中からオススメ屋外グッズを3つほど厳選してみました。
いずれもアフターコロナでも使える無駄のないものばかりを選びましたので、ご参考くださいませ。
1 パラブーツのアヴォリアーズ
いわゆる登山靴ですがそこはさすがパラブーツ。
パラブーツについてご興味があれば過去記事もご笑覧ください。
さすがパラブーツと感じるのは、登山靴としての信頼性と、タウンユースできるスタイリッシュさを併せ持っているところです。
どちらかに偏りすぎてもお買い得感は大きく損なわれると言えましょう。
すなわち本格登山をやろうという人はあえてこのクラシックなタイプのオールレザーの登山靴を買わずとも、近年ではより高性能のものが溢れています。
また、クラシックな登山靴というのは、街で履こうとするには野暮ったいもの。
ところがこのアヴォリアーズは、その両方を絶妙なバランスで両立させています。
具体的にいうと、軽登山であってもおよそ登山と称するアクティビティでは、足首を保護し、滑らないことが求められるところ、十分にその要求を果たします。
特筆すべきはグリップ性。ありがちなのがグリップ性に優れたコマンドソールなんだけどゴムが硬くて結局滑る。みたいな失敗ですが、適度な柔らかさも相まって非常に疲れにくい。
また、登山靴としてはずいぶん細身です。これは一説にはスキーを装着する必要性からと聞きましたが、結果としてタウンユースに無理なくマッチするフォルムが生まれたと言えそうです。
2 グレゴリーのリュック
リュックだけはグレゴリーにしとけば間違いない。このことに異論を唱える人はおそらくいないでしょう。
本格的な登山はもちろん、ちょっとしたハイキングなどでも、ある程度の時間を荷物を背負って歩くという時に、身体にフィットせず肩に不快に食い込むリュックがいかに疲労を募らせ登山を苦行に変えるものであるかは計りしれません。
グレゴリーのリュックは、とにかくフィット感に優れ、荷物の重さを感じさせない作りが秀逸です。
最近新調したのですが、フィット感はもちろん、あちこちに収納があってよろしい。
とにかく近年は荷物(小物)が多くなりがち(スマホとかバッテリーとかですね)ですが、そういったものをうまく収納できるように研究がされているのだなぁと感じます。
ちなみに私は斜めがけのバックなどは肩がすぐ痛くなるガラスの肩の持ち主。できれば通勤もグレゴリーのリュックで行きたいところですがさすがにスーツには合いませんので我慢しています。
3 スノーピークの食器
登山用品のいいところは軽量コンパクトであることです。
本格登山になればなるほど、一つ一つの重さやリュックの中に占めるスペースが死活問題になるからですね。
こちらは自ら「お家でスノーピーク」とか言ってる会社の製品ですから登山というよりキャンプ用品ですが、コンパクトに収納できるというところを追求するアウトドアの思想を感じます。
ちなみに私は田舎に単身赴任をしているのですが、この食器で自炊からアウトドアまで済ませます。
家でも、外でも、山でも、谷でも、田村でもスノーピーク。
こちらは家族用ですが個人用もあります。
スノーピーク社の製品には、コンプリートしたくなる統一感がありますね。
こちらも使い倒しているマグカップ。取手が胴部分に沿うように動き、場所をとりません
おまけ。他社製品ですがフライパン。取手がこれまたこのように曲がります。しかも振ってもガタつくこともない。
少々脱線しましたが、ここ数日はコロナもひと段落といった風ではあるものの、人々には新たな行動変容というものが求められており、「飲み会は横一列で」などギャグかと思いましたが真面目に受け入れようとする向きもあるようで、いずれにせよ数ヶ月前とこの先とでは人々の行動のありようは大きく変わるようです。
しかし不便になった、人付き合いが希薄になったと嘆くのも、共存するほかないことを悟る段階となったウィルスを過度に恐れて暮らすのももったいない話です。
今こそ自然に帰るときといえば大袈裟ですが、お日様のあるところに出かけて時を過ごすことの幸せを再発見するのはいいことだと思います。
そんな大移動をしなくても、いくら東京でも、日の当たらないところだけでもありますまい。
みんなで外に出てコロナさんとうまく折り合いをつけて世知辛い世の中を面白く生きようではありませんか。
Barbourを着て1年が経ちましたが
記録的な暖冬とは言え冬は冬。日毎に寒さが募ります。
そんな中、ふと「そういえばBarbour買ったのは去年であったか」ということに気づき、ここらでレビューのひとつでも書いてみようかと思った次第です。
Barbour"BEDALE"ーそれはそれはメインで使い倒しているわけですが、メンテナンスや着こなしの注意点など、思っていたものとやや違う(いい意味と悪い意味で)ところもあり、購入を悩んでいる諸兄には参考になることも多少はあるかもしれぬと思ったからです。
もうショーウィンドウには春物も並ぼうかという今日この頃ですがしばしお付き合いください。
私のBarbourに関するファーストインプレッションについてご興味の向きはこちらをご覧くださいませ。
では、いよいよ一年経過しての感想です。
着こなしについて
「くずし」のためのアイテムとして
はじめに、購入前に私が考えたのがスーツやジャケットなどビジネスシーンにおける活用でした。
まさにこんなイメージがあったからですね。
(otokomaeken.com)
はなから邪道と言われれば身も蓋もないわけですが、堅苦しくならず軽妙にして滲み出る伊達男感。たまりません。
しかし、これを実践するときに注意しなければならないなと実感したのが、こうしたお洒落な感じを出すためには、スーツスタイルに妥協をしてはいけないということです。
すなわち、Barbourはもともとアウトドアの服。言ったら肉体労働者、ゴリゴリのブルーカラーの服です。
あえてくずしてるんだよ、というためには、身体にフィットしたスーツをパリッと着て、シックなネクタイをきちんと締めてスーツスタイルを完成させてからでないと、そのBarbourの野暮ったさの方が勝ち、「コートがない人」「農家の人がお呼ばれされた」感が演出されてしまうのです。
くずしてるのじゃじゃなく、崩されてしまうわけですね。
こうなるとイ○ンなどのよくわからないコートを羽織ってる方がマシかもしれません。
その意味から、どちらかと言えばジャケットではなく、キメやすいスーツスタイルの方が雰囲気を出しやすいと思います。
また、あくまで遊びですから、スーツスタイルで毎日使うが如きはやはり避けた方がよいというのも感じます。
「お洒落な普段着」として
もちろん普段着から屋外の仕事、犬の散歩までオールマイティに使えそうだ、ということも購入の決め手であったわけです。
こちらについては想像以上に非常に使いやすい服です。
ジーンズにこれさえ羽織っときゃとりあえず外に出られる格好の出来上がり。合わせる服を選ばない汎用性。どんな格好をしようともこれ一着で雰囲気あるブリティッシュ•スタイルにまとめてくれ、休日のお父さんもただのお父さんじゃなくなります。
それでも、やはりどちらかというとキレイめの服の上に羽織った方が良さそうです。
スーツやジャケットと違い普段着ですから何に着ようが自由なわけですが、この服の野暮ったさの破壊力は侮れません。
作業着や犬の散歩、コンビニまでならまあいいとして、いわゆるお出かけの際は努めてインナーはキレイめを心がけなければならぬようです。
特にもワタクシ地方在住。田園風景や漁村の風景に意図せず溶け込んでしまいます。
(kuramotoso.jp)
油断するとフラノコレクションに。写真は黒板吾郎モデル。
メンテナンスについて
これについては、この服が「オイルドジャケット」という、防風や防水のために生地にオイルを塗り込んであるものであるがゆえ、巷では
- 専用のオイルを自分で塗り込む必要がある
- 車のシートにオイルがつく
- クローゼット内では隔離する必要がある
- 匂いがきつい
- 満員電車で着るのはマナー違反
など、様々な噂が飛び交っており、私も大いに悩んだものです。
しかし、どれも気にする必要はほとんどない、というのが実感です。
もっとも、オイルメンテは必要(機能のみならず独特の風合いの維持のため)でしょうが、ショップの人によると3年はノーメンテで大丈夫とのこと。
もちろん何もしてません。
また、これまたネットでは「熱湯をかけて古いオイルを落とす」だの、「段ボール箱の中でドライヤーを当てる」だのクッソめんどくさそうなメンテ法が紹介されていますが、面倒ならショップに頼めばいいのです。
また、車のシートも全く気にせず使えます。
白の革に長時間とか、その辺りは検証してませんが、触れただけでオイルが付くなんてことはないのです。
匂いもほぼ無臭。強いて言えば服屋の匂いです。塗りたてはまた違うのでしょうか?
なお、この冬を迎える前の保管ですが、念のため裏返しにして他の衣服と一緒に吊るしていました。
それほど扱いの面倒なものではありませんね。
総評
以上のように、
- オンオフ活躍するものの羽織る前の装いに気遣いを怠らぬこと
- オイルは恐るに足らぬこと
がまとめとなるでしょうか。
まだ2年目、永く着て経年変化を楽しむものだとも言われており、もちろん廃れることのないスタイルの服ですから、言われるまでもなく多分死ぬまで着るでしょう。
さてBarbourについての駄文でネットの片隅を汚すことになる本日は、奇しくもBarbourを生んだイギリスがEUを脱退した歴史的な日と重なりました。
少なくともファッションに関しては「ブリティッシュ・スタイル」という世界のスタンダードを生んだ国。
私は言うに及ばず、およそ大人の装いに関心を持つ者で彼の国に憧れを抱かぬものはないでしょう。
カウントダウンで離脱を喜ぶ英国人のメンタルは計り知れませんが、人々の暮らしとブリティッシュ・スタイルを担う職人やファクトリーに幸多からんことを願いつつ、投稿ボタンを押します。カチッ。
サイズ感についてはよろしければこちらもどうぞ